前回に続き、ヨーロッパを旅することになった流れ。

通算して7年ほど海外で過ごしている。アメリカ・カナダに始まりニュージーランドを経て、それからずっとアジアを旅していた。2013年にポルトガル、マルタ、フランス(パリ)を旅して、またアジアに戻ってしまった。
私の30代の旅はほとんど東南アジア色だ。コロナまで約10年続けたアジア旅はネパールを最後に幕を閉じた。
アジアに居ついた理由

アジアを選んでいた1番の理由は近くて安いから。
自分の無知さを知るのも楽しかったしすべてに刺激があった。暑くてうるさくて臭くて砂埃が舞う。独特のアジア発音英語、鬱陶しい客引きや土産売り。やかましい町並みとゴミ山。五感をフルに使いながら驚き、疑い、喜び、イラついて過ごす毎日。のんびりした時間、いい加減な料金設定、意味のない時刻表、モラルのない質問、楽観的な笑顔。雑多なビル街から少し離れただけで極端なド田舎や貧困地域が目に入る。
日本とかけ離れたそんな非日常が旅としては楽しかったし新鮮だった。そう思ってハマっていく旅人は多いのだろう。
どんどん一般観光客が行かない辺鄙な田舎に滞在し、ローカルの人たちと仲良くなることも増えていった。
おそらくスマホの存在や、全体の英語力が上がったことで意思疎通や繋がりが簡単になったからだと思った。
突然のアジアさようなら
フリーランスの私はビジネスやボランティアで繋がることも増えてきたのに、自分の中で「もうアジアはない」と見切った。
大好きなラオスや中国へ行く日はまたくるかもしれない、でもおそらく年寄りになってから綺麗なホテルに泊まって記憶を辿る旅行をするのだと思う。地元の人たちと触れ合って仲良くなってSNSで連絡を取り合うような関係は今は望んでいない。
飽きた
ひどい言い方になるが、話の幅も深みもなく飽きたのが1番の理由。話すことがないからすぐに家族の話になる。大学を出た人は得意気にビジネス(ただの金の話)や自分の属する民族の話をするが、それ以上もそれ以下もない。歴史や伝統、自国の各地域の特徴や文化を語ることはない。有名な海外映画や音楽の話もできず、もちろん海外の話は旅行ではなくウワサ程度。金持ちは海外旅行もするが、超有名観光地だけを巡っているので私とは話が合わない。

今や日本を先進国と呼ぶには疑問があるし、タイやマレーシアを発展途上国とは思わないが、やはり趣味や社会的な話はできない、続かないなぁと思ってしまうのだ。
私の宿にもアジア人が泊まるけれど、アジア人で多様な話ができるのは"旅慣れている・長期海外に滞在した"台湾・韓国・香港に限られる。
何が違うかとずっと考えていたのだけど、
私が欧米人と話すのが好きなのは、毎日でも話のネタが尽きず、文化・政治・経済・環境・教育・法律・建築・芸術など多岐にわたって知識を意見を交換するからだ。趣味や旅行の話も絶えないしお互いに行ってみたくなる。もちろんこれは日本人とも成立しない。とくに田舎に住んでいるので誰かのウワサ話やら忙しいとか体調がどうとか同じ話題が繰り返されるだけだ。
※この旅の帰国後、長野県のとあるホテルで働いて20人のフロントスタッフと1度もニュースや社会について話すことはなかった。

欧米人とは真面目な話ではなくて、各トピックに自虐があるし他国の非難もある。だいたいお決まりでアメリカ・中国・フランス・ドイツは(本人がいなければ)文句の的になる。
残念ながらアジア人と話していてこの状況は生まれない。身近な中国の文句を言う程度で、「それどこからの情報?」と聞く耳をもてない子どもレベルな話題がある程度だ。
つまり ーーー 私にとって学べるものがないと思った。
下品
これもひどい言い方になってしまうけれど、積み重ねた経験を1まとめで言うと「下品」だから嫌になった。日本人にとっての上品・下品の定義はおいといて、「こういう場面でそういう事言う?」と思うことが多い。
昔は文化の違いと言い聞かせたけど、単純に教育レベルの違いだと思っている。今さらインバウンドと騒いでいるけれど、日本ってかなり遅れた観光後進国で、東南アジアのほうが1970~1980年でも多くの欧米人バックパッカーが旅していた。にも関わらず彼らから何も学ばなかった姿勢が今日まで悪びれることなく続いているのだ。
うんざりしたきっかけはコロナだった。コロナが始まって世界中が大混乱する中、東南アジアの友達からたくさんのメッセージが届いた。外資が途切れ、日本と違って金に困っているので一緒に何かビジネスをしないかというものだった。率直に金を貸してくれという輩もいたし、わけのわからないフェイクニュース話をしてくる奴もいた。つらい思いをしていたのは世界中同じだったのに、こういう時だけ貧国アピールをするのは本当に鬱陶しい。
コロナは良いきっかけだった
コロナ自体の話ではなく、ワクチンができるまでのお化け騒ぎは私にとって色々なものが淘汰されるいいきっかけだった。国、地域、組織、個人までも私の中で選別する時間となり、日本人でも断ち切った関係がいくつかある。

何か自分の中でモヤモヤと「面白くない」気持ちが渦巻いていたこと、ダラダラと通い続けていただけのアジアの存在、日本と似ているだろう(先進国の)世界を自分の目で見に行きたい欲が高まった。
同じ経済発展や開発、深い歴史と文化、80年前のベビーブーム。少なくとも西ヨーロッパは同じ道を辿っている。最低限のインフラ、共通する話題で過ごせること、怒りや疑いのない安心できる場所を旅したかった。物価は高くとも、落ち着いてその社会を見たかった。
だからアフリカや南米には興味が向かず、西ヨーロッパを訪ねることがはっきりしたのだ。
いつか懐かしくなる

初めてタイに行ったのは20年前、最後は5年前。タイを訪れる度にどんどんインフラや生活意識が変化する空気をはっきり感じ取れた。安すぎるタイに世界中のバックパッカーが集まって飲み暴れて、タイ人らはいい加減な商売で旅人に声をかけて儲けるあの風景はもうタイにはない。(いい方向に)変わり果てたタイに面白みを感じなくなった。旅すればイラつくのに、ちゃんとした社会になっていくと退屈に思う矛盾。だったらむしろ跡形もなく変わった10年後くらいに行くのはどうだろうか。
これが今どき珍しく西ヨーロッパを長期旅行しようと思った理由。もちろんバブル期の旅行者とは違う旅。
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